東京高等裁判所 昭和54年(う)1981号 判決 1980年6月18日
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人黒田純吉、同添田修子共同作成名義の控訴趣意書並びに右黒田弁護人作成名義の控訴趣意補充書及び「控訴趣意書の訂正箇所について」と題する書面に、右控訴趣意書記載の控訴趣意に対する答弁は、検察官栗田啓二作成名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。
第一 訴訟手続の法令違反の主張について
一 法令により判決に関与することができない裁判官が判決に関与した違法を主張する点について
所論は、原裁判所を構成した小林充裁判官は、同裁判所に配属される前に、被告人らの各保釈請求につき審理し、これらの保釈請求を却下したことがあり、その審理を通じて事件の内容を十分知つていたのであるから、「前審の裁判の基礎となつた証拠に触れた」ものとして、刑訴法二〇条七号に定める除斥事由があり、また、同裁判官が原裁判所を構成する以前から被告人らの弁護人に電話を掛けて本件の期日について折衝したことや、その際の同裁判官の発言等に徴すると、同裁判官には不公平な裁判をする虞があつたものとして忌避事由があり、いずれにしても原裁判所を構成することができなかつたのであるから、かかる裁判官が原判決に関与したのは、刑訴法三七七条二号の「法令により判決に関与することができない裁判官が判決に関与したこと」に該当する、というのである。
そこで記録を検討すると、本件の原審における審理・判決に裁判長として関与した小林充裁判官は、原審第一回公判期日前に、東京地方裁判所刑事第一四部所属の裁判官として、被告人らの各保釈請求につき審理し、却下の裁判をしていることが認められる。
しかし、刑訴法二〇条七号にいう「前審の裁判」とは、審級制度を前提として上級審からみた下級審の終局裁判を指すのであつて、第一審における第一回公判期日前の保釈請求許否の裁判は、その事件の審理・判決の手続との関係では右法条にいう「前審の裁判」に該当しないものと解されるから、本件の原審第一回公判期日前に被告人らの各保釈請求につき審理し、却下の裁判をした小林裁判官が、後に本件の審理・判決に関与することとなつても、「前審の裁判」に関与した裁判官として除斥されるいわれはない(最高裁判所昭和二五年四月一二日大法廷判決、刑集四巻四号五三五頁参照)。また、刑訴法三七七条二号にいう「法令により判決に関与することができない裁判官」とは、除斥原因のある裁判官のほか、忌避申立てを理由があるものとする決定があつた場合の忌避された裁判官、あるいは回避の申立てを理由があるものとする決定があつた場合のその裁判官を指すのであつて、所論のように単に忌避事由のある裁判官であるというだけでは、右の「法令により判決に関与することができない裁判官」に当たらないものと解すべきである。ところが、記録によると、被告人らは原審において昭和五三年五月一六日に所論指摘の事由等により小林裁判官に対する忌避の申立てをしたが、被告人磯部、同高羽(旧姓桑原)、同小野の各申立てはその申立ての手続が不適法であつたことにより、被告人村山、同臼井の各申立てはその理由がないとしていずれも却下されていることが明らかであり、他に同裁判官に対する忌避申立てを理由があるものとする決定がなされた事実は記録上認められないから、同裁判官に所論指摘の点で忌避事由があるか否かを問うまでもなく、同裁判官は刑訴法三七七条二号にいう「法令により判決に関与することができない裁判官」に当たらないことが明らかである。したがつて、同裁判官が関与した原判決に所論のようなかしはない。論旨は理由がない。
二 不法に公訴を受理した違法を主張する点について
所論は、被告人らに対する本件各公訴の提起は、被告人らの狭山差別裁判糾弾闘争を弾圧する目的でなされたものであるから、公訴権の濫用として棄却されるべきであつたのに、原審がその措置をしないで実体審判をしたのは、刑訴法三七八条二号にいう「不法に公訴を受理し」た違法がある、というのである。
しかし、記録及び原審で取り調べた各証拠を総合すると、本件が犯行の態様等に徴し重大事犯であつて、各公訴提起の時点において十分な犯罪のけん疑と理由があつたことが明らかであり、本件各公訴の提起が狭山裁判批判運動を弾圧する意図のもとになされたものとは認められず、その他原審における本件審理の全過程をみても本件各公訴の提起を不当ならしめる事実が認められないことについては、原判決がその理由中の「弁護人の主張に対する判断」の項で説示しているとおりであつて、当裁判所においても首肯し得るところであるから、被告人らに対する本件各公訴を棄却しないで実体審判をした原審の措置は正当であり、所論のようなかしはない。論旨は理由がない。
三 弁護人の証人申請の大部分を却下した違法を主張する点について
所論は、弁護人は原審において次のような立証趣旨で、すなわち狭山事件が部落差別に基づくえん罪であることが客観的に明白であること、右のような部落差別による権力作用が口頭・紙面上の批判のみにとどめて放置することのできない重大な不正義であること、本件が狭山差別裁判に含まれる重大な社会問題を明らかにする運動として、手段・方法において相当性の範囲を超えないこと、本件が部落差別を含むすべての社会的差別を無くすための被告人らの真しな思索と討論に基づくものであること、及び本件の捜査・起訴における政治目的を立証するために多数の証人の尋問を申請したが、右各証人の尋問は、それぞれ立証趣旨を異にし、本件の審理をするうえで不可欠であつたのに、原審が弁護人の右証人申請の大部分を関連性が乏しいとして却下したのは、憲法三七条二項に違反する、というのである。
そこで記録を検討すると、被告人らの弁護人が、原審において、所論のような立証趣旨でいわゆる狭山事件の上告棄却決定に関与した最高裁判所判事三名を含め合計二六名の証人尋問を申請したところ、原裁判所は、そのうち八名の証人尋問を採用しただけで、その余の申請を却下したことが明らかである。
しかし、検察官あるいは被告人・弁護人から証人尋問の申請があつた場合に、裁判所がこれをすべて採用しなければならないとは到底解されないのであつて、申請のあつた証人尋問がいわゆる関連性のない場合には却下を免れない。ここにいう関連性は、証人尋問とこれによつて証明しようとする事実、すなわち立証事実との間ばかりでなく、その立証事実と事件との間にもなければならないのであつて、立証事実が事件、換言すれば訴因事実の有無を審理し、かつ、適正な量刑をするに必要・十分な事項の有無に何ら影響をもたらさない場合には、仮に証人尋問と立証事実との間に関連性が認められるものであつても、事件との間に関連性がないものとして、却下を免れないものというべきである。更に、関連性が認められる場合であつても、証人申請の採否は結局、採証法則に反しない限り、裁判所が自由な裁量によりその必要性を判断して決すべきものである。憲法三七条二項も、裁判所がその必要を認めて採用した証人に関する規定であつて、弁護人から申請のあつた証人をすべて採用しなければならないとの趣旨を定めたものではなく、関連性あるいは必要性のない証人申請を却下することは何ら右規定に違反しない。
これを本件についてみるに、後にも触れるような本件の事件の性格、その他諸般の事情に、弁護人が申請した各証人に関する立証趣旨、原審で検察官及び弁護人の申請により採用され、取り調べられた各証拠との関係等を併せて検討すると、弁護人が申請した証人二六名のうち、原審で採用された八名を除くその余の証人については、いずれもこれによつて証明しようとする事実と本件の事件との関連性ないし証人尋問を行う必要性が到底認められないから、同様の理由により右各証人の申請を却下したものと認められる原審の措置は正当であり、もとより憲法三七条二項に違反するものではない。論旨は理由がない。
四 証拠能力のない証拠を採用した違法を主張する点について
所論は、原判決の挙示する司法警察員作成の実況見分調書四通、司法警察職員作成の写真撮影報告書四通及び小田部家邦作成の鑑定書はいずれも次に述べるような点で証拠能力がない、すなわち、右各写真撮影報告書はいずれも、いつたん別の各写真撮影報告書が作成された後に、検察官が、その各作成者をして撮影の時刻及び場所の記載を訂正させ、特に撮影時刻の記載については各作成者の意思に反して虚偽の記載をさせるという虚偽公文書作成罪に該当する行為により違法に訂正させたうえ、刑訴規則五九条所定の方式によらず、右のように訂正した書面を書き写して新たに作成させたものであり、しかも公文書成立の最も重要な要素の一つである作成日付を実際に作成された日よりも一か月もさかのぼらせて、本件の事件直後に作成されたもののように作為してあり、また、司法巡査藤代眞義(以下「藤代巡査」という。)作成の写真撮影報告書には右の「書き写し」の過程に誤りもあるので、原判決の掲げる各写真撮影報告書はいずれも証拠能力がない、なお、原判決の挙示する司法巡査秋山憲弘(以下「秋山巡査」という。)撮影の写真一四葉は、同巡査作成の写真撮影報告書に添付されているもので、同書面も先に証拠能力のないことを指摘した各写真撮影報告書と同様の経緯で違法に作成されたものであるから、右各写真はそのかしを引き継ぎ証拠能力を欠くものであり、そうでないとしても関連性がない、次に、前記鑑定書は、被告人らと何らのかかわりもない被疑者についてのものであり、また、原審は右鑑定書中「領番」(控訴趣意書に「領置」とあるのは、「領番」の誤記と認められる。)と付記してある鑑定資料についての鑑定の結果を記載した部分のみを証拠として採用しているけれども、それらの鑑定資料がいつ、どこで押収されたものか十分に立証されていないので関連性がない、以上のとおり原判決挙示の前記各証拠及び証拠物はいずれも証拠能力を欠くか、関連性がないから、原審がこれらを採用したのは、採証法則に違反し、訴訟手続の法令違反を犯したものである、というのである。
しかし、所論指摘の実況見分調書四通は、原審第一〇回公判調書中の証人椎津一夫の供述部分(以下「椎津証人の供述記載」という。他の証人について同様とする。)によれば、司法警察員である同証人が本件犯行現場及びその付近の実況見分を行い、その結果を正確に記載したものであることが認められるから、真正に作成されたものであり、刑訴法三二一条三項によりその証拠能力を認めることができる。所論は右各実況見分調書がいかなる点で証拠能力に欠けるというのか、何ら主張するところがないうえに、原審で取り調べた他の証拠を併せて検討しても、その証拠能力を疑うべき事由は見いだせない。
次に、所論指摘の各写真撮影報告書中、司法警察員今福義雄、同荒竹幸雄(以下「今福巡査」、「荒竹巡査」という。)作成名義の各写真撮影報告書の証拠能力について検討すると、右各書面自体及び証人今福義雄(第一〇回公判)、同荒竹幸雄(第一一回公判)の各供述記載によれば、今福巡査作成名義の写真撮影報告書は、その本文中に別添の写真七葉を撮影したことを報告する旨の記載に続いて、その撮影日時、撮影場所、使用カメラ及びフイルム等の撮影の概括的なデーターを付記し、その末尾に原判示集会に参加した者らの本件犯行前の行動等を撮影した白黒のいわゆる現場写真七葉を台紙に張り付けて添付し、その各写真の下部に当該写真の「撮影時間」、「撮影場所」及び「状況説明」を記載したものであり、また、荒竹巡査作成名義の写真撮影報告書は、その本文中に前同様に記載し、その末尾に原判示集会に参加した者らの本件犯行直後の行動等を撮影したカラーの現場写真八葉を台紙に張り付けて添付し、各写真の下部に当該写真の説明を記載したうえ、撮影場所付近の略図に個々の写真の撮影位置・方向を記入した見取図一枚を添付したものであつて、いずれも真正に作成されたことが認められ、他に右認定を動かすに足りる証拠はないから、右各写真撮影報告書はいずれも、その各写真の下部の「状況説明」の記載及び説明部分を除き、刑訴法三二一条三項によりその証拠能力を認めるに十分である。
次に、原判決の掲げる司法巡査中越實(以下「中越巡査」という。)作成名義の写真撮影報告書(検察官請求番号17)及び藤代巡査作成名義の写真撮影報告書(検察官請求番号23)の各証拠能力について検討すると、右各書面自体及び証人中越實(第一〇回公判)、同藤代眞義(第一一回公判)の各供述記載によれば、右各写真撮影報告書はいずれも、その本文中に前同様に記載し、その末尾に、撮影場所付近の略図に個々の写真の撮影位置・方向を記入した見取図一枚を添付したうえ、本件犯行の状況及びその前後の状況等を撮影した白黒の現場写真二〇葉(中越巡査作成名義の写真撮影報告書)又は二一葉(藤代巡査作成名義の写真撮影報告書)を台紙に張り付けて添付し、各写真の下部に当該写真の「撮影時間」、「撮影場所」及び「状況説明」を記載したものであることが認められる。ところで、右各証拠及び原審で取り調べた藤代巡査作成名義の写真撮影報告書(検察官請求番号41・弁護人請求番号3)によると、中越、藤代両巡査は、それぞれその作成名義の原判決挙示の各写真撮影報告書記載の各作成日付の日(中越巡査作成のものは昭和五二年八月二四日、藤代巡査作成のものは同月二三日)に別の(最初の)写真撮影報告書(藤代巡査作成のものが、前記検察官請求番号41・弁護人請求番号3)を作成してそれらを検察庁へ送付したところ、その後担当検察官から右各写真撮影報告書に添付されている写真の下部の「撮影時間」の記載及び添付見取図の撮影位置・方向の記載に一部誤りがあることを指摘されてその訂正を求められたため、これに応じて訂正し、更に同年九月下旬ころ右訂正済みの各写真撮影報告書を書き写して新たに原判決挙示の各写真撮影報告書を作成したことが認められる。しかも、前掲各証拠によれば、中越、藤代両巡査が最初に作成した各写真撮影報告書はいずれも、後に検察官から誤りを指摘された箇所を除けば、すべて正確に記載したものであり、両巡査は、検察官から指摘された各写真の下部の「撮影時間」の記載については、もともとその撮影時に数枚分を一括してメモした状況などからみて、一分程度の誤差があり得るものと考えていたことや、検察官から示された秋山巡査撮影の写真に写つている建物の大時計と対比するなどして検討し、見取図の撮影位置・方向の記載については、撮影の現場に臨むなどして再調査した結果、検察官に指摘されたような若干の誤りがあることが判明したため、中越巡査が同人において最初に作成した写真撮影報告書につき、添付の見取図の二か所の撮影位置・方向の記載を訂正し、かつ、添付の番号9、10、11の各写真の下部の「撮影時間」を一分ずつずらして訂正し、藤代巡査が同人において最初に作成した写真撮影報告書につき、添付の見取図の水銀燈の位置及び道路の各記載(各一か所)を補正したうえ、同見取図の一一か所の撮影位置・方向の記載を訂正し、かつ、添付の番号7ないし12の各写真の下部の「撮影時間」の記載を一分ずつ繰り下げるように訂正したこと、ただし、それらの訂正にあたつては、その加入・削除の字数を記載しなかつたこと、そして、原判決挙示の各写真撮影報告書を作成する際には、最初に作成した各写真撮影報告書と全く別個な書面を新たに作成するという意識がなく、訂正済みの右各写真撮影報告書を基にして内容が同一で加除訂正の跡のない書面に作り替える趣旨であつたところから、作成日付の点を含めて正確に書き写したものであり、藤代巡査が作り替えた写真撮影報告書に添付されている見取図中、番号17の写真撮影位置の記載が、最初に作成した写真撮影報告書に添付されている図面の記載に比し、右方(東方)にずれているけれども、そのずれはわずかなものであり、同巡査が意識的に虚偽の記載をしたわけではないこと、なお、最初に作成した各写真撮影報告書に添付されている各写真と後に作り替えた各写真撮影報告書に添付されている各写真とは、同一のネガから焼き増しをした映像の同一な写真であり、それらの写真の作成過程で殊更人為的な加工を施した事実のないことが認められる。以上の事実によれば、中越藤代両巡査の作成にかかる原判決挙示の各写真撮影報告書はいずれも、所論のような検察官の虚偽公文書作成罪に該当する行為によつて作成された内容虚偽の書面ではなく、むしろ真正に成立したものといつて差し支えないから、添付の各写真の下部の「状況説明」の記載を除き、刑訴法三二一条三項により証拠能力を有するものと解すべきであつて、前記の作成の経緯及び訂正の内容等に徴すると、刑訴規則五九条に則つて誤りを訂正することなく、新たに作り替えたものであり、作成日付が実際の作成日と異なる結果になつているからといつて、その証拠能力を否定することはできない。
また、所論指摘の秋山巡査撮影の写真一四葉については、各写真自体及び証人秋山憲弘の供述記載(第九回公判)によれば、右各写真はいずれも司法巡査である同証人が本件犯行の当日その現場に臨んで犯行の状況及びその前後の状況等を撮影した白黒の現場写真であることが認められるから、関連性に欠けるところはなく、これらの写真を添付した同証人作成の写真撮影報告書に所論のようなかしがあつたとしても、その故に右写真自体もそのかしを引き継ぎ証拠物として使用し得ないものとは到底解されない。
次に、所論指摘の鑑定書の証拠能力について検討すると、右鑑定書の記載及び証人小田部家邦の供述記載(第九回公判)によると、右鑑定書は、警視庁科学捜査研究所第一化学科の主事である同証人が、同庁代々木警察署長から嘱託されて、サイダーびん等の鑑定資料につき、その物質、種類、名称等について鑑定し、その結果を正確に記載したことが認められる。もつとも、右鑑定書の記載によれば、右鑑定書が「黙秘の男、逮捕番号新宿一一番、留置番号代々木九番」という被疑者に対する兇器準備集合等被疑事件について作成されたものであることは所論指摘のとおりであるが、記録及び原審で取り調べた関係証拠によれば、右鑑定書掲記の被疑者は、被告人らの本件各犯行の共犯者として被告人らと同じ日時ころ同じ犯行現場で逮捕された者であることが認められる(ちなみに、被告人らの逮捕番号は、被告人磯部が新宿五号、同髙羽が新宿三号、同小野が新宿一二号、同村山が新宿八号、同臼井が新宿二号である。)。また、椎津証人の供述記載及び同人作成の昭和五二年八月二六日付け実況見分調書によれば、右鑑定書に「領番」の付記してある各鑑定資料は、すべて同証人が本件犯行の当日、被告人らの逮捕後間もない午後一時一五分ころから午後二時四五分ころまでの間に本件犯行の現場で実況見分を行つた際、同所で発見し、被疑者らが遺留したものと認めて押収した物件であることが認められ、個々の発見地点も右実況見分調書に明らかにされているから、右鑑定書は、「領番」を付記した鑑定資料に関する鑑定の結果を記載した部分に関する限り、関連性に欠けるところがなく、刑訴法三二一条四項によりその証拠能力を認めることができる。
以上の次第で、所論指摘の各証拠及び証拠物はいずれもその証拠能力ないし関連性を肯認することができるものであるから、これらを採用して原判示各事実の認定に供した原審の措置は正当であり、所論のようなかしはない。論旨は理由がない。
第二 事実誤認の主張について
所論は、要するに、原判示各事実を認定した原判決には次のような点において事実の誤認がある、すなわち、原判示第一の事実につき、(一) 判示の旗ざおが本来の兇器でないことはいうまでもないが、本件においては右旗ざおを持つた者らがこれで警察官の身体に危害を加えることができるほどの近距離に接近したことはないのであるから、右旗ざおはいわゆる用法上の兇器にもあたらない、(二) 被告人らが判示の炭酸飲料水用びんや牛乳びんを所持して集合、移動した事実はない、原判示第二の事実につき、(三) 本件において点火、投てきされた火炎びんは多くても六本、発火・炎上した火炎びんは多くても三本であつて、被告人らが判示のように火炎びん約八本に点火して投てきし、うち約七本を発火・炎上させた事実はない、(四) 被告人らが多数の炭酸飲料水用びん及び牛乳びんを投てきした事実はない、(五) 被告人らが旗ざおで警察官らの身体に突きかかるなどの暴行を加えた事実はない、(六) 本件においては、火炎びんの使用によりいまだ警察官らの身体に具体的な危険を生じさせるまでに至つていない、(七) 被告人小野が火炎びんの使用を共謀した事実はない、というのである。
しかし、原判決挙示の関係各証拠を総合すると、所論指摘の諸点を含めて原判示各事実を認定した原審の措置は、当裁判所においても優にこれを首肯することができるのであつて、原審で取り調べた他の証拠を併せて検討しても、原判決に所論のような事実の誤認はない。以下、所論に則して若干の説明を補足する。
所論(一) 旗ざおの兇器性について
原判決挙示の関係各証拠によれば、原判示の旗ざおはいずれも長さ二、三メートルの竹ざおの先端に旗を結び付けたものであることが認められるから、かような旗ざおがその本来の性質上人を殺傷するために作られたものでないことは所論のとおりであるが、その形状、長さ、材質等に徴すると、特に先端部を鋭利にするなどの加工を施されたものではなかつたとしても、用法によつては容易に人の身体等に危害を加えるに足りる器物であることもまた明らかである。そして、原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人らが他の数十名と共に、警備中の警察官らの身体に対して共同して危害を加える目的をもつて、右のような旗ざおを所持して集合、移動したことは、原判決が認定、判示するとおりであり、その集合、移動の状況についてみるに、証人佐藤光正(第五、一一回公判)、同佐々木正春(第五、八回公判)、同榎本泰男(第六、七回公判)、同深沢英文(第七回公判)、同藤山恒憲(第八回公判)の各供述記載、司法警察職員作成の各写真撮影報告書、司法警察員作成の昭和五二年九月七日付け実況見分調書及び秋山巡査撮影の写真一四葉によると、原判示旗ざおをもつて集合した数十名の者らが、原判示代々木公園南出入口付近の広場及び園路上でその旗ざおを腰に構え、先端を前方に向けて突き出すなどのいわゆる突撃訓練を繰り返したうえ、旗ざおを横に倒して腰に構えるなどしながら同所から原判示NHK放送センター入口付近に至る園路上及びその西側遊歩道上を南下し、右園路南端の横断歩道付近に集結していた警察官らの二、三〇メートル手前に差し掛かるや、旗ざおを腰に構え、その先端を右警察官の方向に向けて対じし、あるいは右警察官らに向けて旗ざおを突き出すなどの動作をして、警察官らが接近して来ればこれに旗ざおで突きかかりかねない気勢を示していたことが認められるから、原判示第一の時点において既に、本件の旗ざおがその通常の、あるいは本来の用途に用いられるのではなく、警察官らの身体に対して危害を加える用具として利用される外観を呈していたものというべきである。右のような事情のもとでは、特段の加工の施されていない、長さ二、三メートルの本件旗ざおといえども、多数の者が警察官の身体等に危害を加える目的をもつてこれを準備して集合、移動するにおいては、その警察官との間に二、三〇メートル以上の間隔を保つていたとしても、社会通念上人をして危険感を抱かせるに足るものであるから、右旗ざおは刑法二〇八条の二にいう兇器に該当するものというべきである。
所論(二)、(四) 炭酸飲料水用びん及び牛乳びんの所持、投てきについて
原判決の掲げる佐藤証人の供述記載、司法警察員作成の昭和五二年八月二六日付け、同月三〇日付け各実況見分調書、司法警察員畑本幹夫外一名作成の捜査報告書及び小田部家邦作成の鑑定書によると、被告人らが検挙された後、本件の犯行現場、特に国立競技場バスターミナル内及びその西側から北方のNHKホール前に至る園路上に、火炎びんの破片のほか、三ツ矢サイダーびん、コカコーラびん、牛乳びん等の大量のガラス破片が散乱していたことが認められる。この事実に、原判決挙示の関係各証拠によつて認められる被告人ら及びその共犯者らと警察官らとの位置関係、及び中越巡査作成の写真撮影報告書に添付されている番号18の写真によつて認められる、被告人らの集団の一員とうかがわれるヘルメツトをかぶつた者が、びんの種類、名称は定かでないものの、火炎びんとは明らかに異なるびん一本を投げようとしている状況などを併せて検討すると、被告人ら、あるいはその共犯者のうち多数の者が、火炎びんのほか、炭酸飲料水用びんや牛乳びんを多数所持して集合、移動し、これらのびんを警察官らに向けて投てきしたことを認めるに十分である。もつとも、榎本、深沢、藤山各証人の供述記載には炭酸飲料水用びんや牛乳びんの投てきを目撃した旨の供述のないことは所論指摘のとおりであるが、右各供述記載によつて認められる同証人らの行動及び現場の状況に徴し、同証人らが、次々に火炎びんが投てきされ、発火・炎上する異常な事態や被告人らを検挙することに気を取られて、火炎びんのほか、炭酸飲料水用びんや牛乳びんが投てきされたことに気付かなかつたとしても無理からぬところであるから、所論指摘の点も前記認定を動かすに足りない。
所論(三)、(六) 投てきされ、発火・炎上した火炎びんの数及びこれによる危険発生の有無について
榎本(第六、第七回公判)、深沢、藤山各証人の供述記載によつて認められる火炎びんの投てき及び発火・炎上の目撃状況並びに藤代巡査作成の写真撮影報告書添付の番号10、11、13の各写真、中越巡査作成の写真撮影報告書添付の番号11の写真及び秋山巡査撮影の番号4、6の各写真によつて認められる火炎びん様の物の投てき及び発火・炎上の状況に加え、司法警察員作成の昭和五二年八月二六日付け実況見分調書によると、原判示第二の犯行現場、特に前記バスターミナル前(西側)付近園路上及びNHK放送センター駐車場前(東側)園路上に、白布片、端の焦げた白布片、黒いすす様のものが付着したガラスの破片、白布栓付きのびん口破片等が散乱し、かつ、七か所の路面に黒いすす様のものが付着していたことが認められることなどを併せて検討すると、被告人磯部、同高羽及びその共犯者らが点火して警察官に向けて投てきした火炎びんは少なくとも約八本であり、そのうち約七本が発火・炎上したこと、そして、これらの火炎びんは警察官の約一メートルないし数メートル手前の路上、あるいは警察官が乗車していた自動車の前面の金網の部分に落下し、ガソリンが飛散して発火・炎上し、警察官の中には数歩後退してこれを避けた者もあつたことが認められ、これらの事実によれば、被告人らの火炎びんの使用により警察官らの身体に具体的な危険を生じさせるに至つたものというべきである。
所論(五) 旗ざおによる暴行の有無について
原判決挙示の関係各証拠、特に藤山、佐々木各証人の供述記載、秋山巡査撮影の番号5、6、8の各写真等によれば、被告人小野が、後退する際、間近かに迫つて来た警察官に対し所携の旗ざおを突き出す暴行を加えたほか、被告人らの共犯者の中には、前記バスターミナルの北側の園路上に移動して来た警察官の一群と激しくやり合い、所携の旗ざおで突きかかるなどの暴行を加えた者もいることを認めるに十分である。
所論(七) 被告人小野の火炎びん使用の点に関する共謀について
原判決挙示の関係各証拠、特に藤山証人の供述記載、中越巡査作成の写真撮影報告書添付の番号9ないし12の各写真、藤代巡査作成の写真撮影報告書添付の番号9ないし12の各写真及び秋山巡査撮影の番号2ないし8の各写真等によれば、被告人小野を含む旗ざおを持つた者らと被告人磯部、同高羽を含む火炎びんを投てきした者らとは、同一の集団に所属していたものと認められるばかりか、互いに緊密な連係をとつて行動していたこと、すなわち、初め旗ざおを持つた者らの集団がその旗ざおを構えるなどして警察官の方に向かい、ある程度接近すると、その側方から火炎びんを持つた者らが駆け出して来て、次々にその火炎びんを警察官に向けて投てきしたうえ、反転して旗ざおを持つた者らの背後に退却し、これと入れ替わつて旗ざおを持つた者らが進出し、近寄つて来る警察官の前に立ちはだかつて旗ざおを構えるなどして、警察官の検挙活動を妨害するような行動に出ていることが認められるのであつて、これらの点に徴すると、被告人小野は火炎びんを使用した者らと共謀して本件火炎びんの使用の犯行に及んだことを認めることができる。
論旨はすべて理由がない。
第三 法令適用の誤りの主張について
一 火炎びんの使用等の処罰に関する法律(以下「火炎びん処罰法」という)の違憲を主張する点について
所論は、火炎びん処罰法は、立法の実質的根拠が薄弱であるのに、新たに刑罰をもつて規制を加える点において憲法一三条に、反政府運動の鎮圧を目的とした立法である点において憲法一四条、一九条、二一条一項に、構成要件が文理上不明確である点において憲法三一条にそれぞれ違反するものであるから、かかる違憲の法律を適用して被告人らを有罪とした原判決は法令の適用を誤つたものである、というのである。
しかしながら、火炎びん処罰法は、その立法の実質的根拠が薄弱であるとはいえず、反政府運動の鎮圧を目的としたものではなく、その構成要件が不明確であるともいえないから、所論指摘の憲法の各規定に違反するものではないのであつて、この点について原判決が弁護人の主張に対する判断の項で説示するところは、当裁判所も首肯することができるから、火炎びん処罰法を合憲として本件に適用して被告人磯部、同高羽、同小野の三名を有罪とした原判決に所論のような法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。
二 違法性阻却事由を主張する点について
所論は、被告人らの本件各行動は、狭山事件に関する最高裁判所の誤つた上告棄却決定に対し抗議、糾弾の意思を表示するためになされた正当な行為であつて、違法性が阻却されるべきであるのに、これを認めないで被告人らを有罪とした原判決には、法令適用の誤り、理由不備、理由そごの違法があるとして、狭山事件の裁判の誤りにつきるる主張する。
しかしながら、被告人らの本件各行為が原判示のようなその態様からみて手段において到底相当なものといえないことについては、原判決が弁護人の主張に対する判断の項で説示するとおりであつて、当裁判所においても首肯し得るところであり、所論指摘の狭山事件の裁判が誤判であるか否か、また、右裁判に対する被告人らの認識、意図が正当であつたか否かのいかんにより右の結論が左右されるものではなく、原判決の右説示は、原判決が量刑の理由の項で説示するところと対比して検討しても、弁護人の違法性阻却事由の主張を採り得ないとする理由の説示として欠ける点やそごするところがあるとは思われないから、違法性阻却事由の存在を認めないで、被告人らを有罪とした原判決に所論のような法令適用の誤りはない。また、原判決を本件の中心的な争点をすりかえたとして非難するのも当たらない。論旨は理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。